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ラックスができるまで - その4

「育種は目標がはっきりしていれば誰にでもできる」と父は言いました。
目標がかなり狭い範囲にあれば、どうやったらいいかを考えようがあります。
例えばある優れたピンクの花があり、その姿のままもう少し薄いピンク色にしたいとかですね。
(それもまた逆に簡単ではないのですが) ところが私はまだ30代の頃、ラナンキュラスに対する目標と問われれば「もっと使ってもらえる、つまり売れるもの」と答え、売れるためにはと問われれば「より美しく、より丈夫で、より多花豊産」と答えたと思います。これではどこから取り掛かっていいかわからない。
手あたり次第、思い付きで交配をしてその結果にがっかりしていた頃、サカタの八代さんが花を見に来られました。 「なかなか難しいです。試作圃場も無限にあるわけではなく、いいと思う組み合わせを全部試すことはできないし、昔の父のようにコレと親を見抜くこともできない。」と私は言い訳のような愚痴をこぼしました。すると八代さんが言われました。 「どれか一番有望なものはないのか? あればそれにすべての系統をかけるんだよ。コレがよさそうとかダメそうとか考えないで、できる限りたくさんかけることだ。」
私「たくさんかけるのはたいへんです。交配の目印を付けるだけでも物理的に限界があるのでなかなか難しいです。」
八代さん「目印なんて毛糸でもつけておけばいいじゃないか。とにかく一回たくさんやってみなさい。」
このアドバイスがその後ずっと生き続けています。ラックスの誕生の時もです。

ラナンキュラスは地中海沿岸地方の原産植物です。日本の高温多湿には弱いのです。
日本でも寒く乾燥している冬は比較的管理がしやすいのですが(暖房機で適温になるよう少々加温すればいいので)残暑の厳しい秋や菜種梅雨が早くからやってきて長雨が続く春には苦労します。
思いつく限りの対策をあまりお金がかけられない中で講ずることになります。
今から考えるとほんとうに涙ぐましい努力のようなこともしました。地温を下げるためにいろいろなマルチをよいと言われれば試しました。湿度をとるためにパウダーを散布したり、ハウス中に細いダクトを張り巡らして乾いた空気を送ったこともあります。寒冷紗の装置は毎年のように新しいものを考えていました。
私もなまじ園芸学部を出たせいで、園芸というのは難しい作物や難しい作型あるいはどんな作物でも普通以上の出来栄えのものを作ってなんぼという固定観念があります。
たいていの美しい花は栽培が難しいものが多く、希少価値が市場での高値につながるのが江戸時代からの
伝統です。こてこてに手をかけるのが園芸の常識でそうしないのは怠けている気がしてしまうのです。
そしてより園芸的価値の高いものほど種子は取りにくくなるものだから仕方がないと考えながら苦戦していました。
そんな時、小林市の育種家の松永さんの話を聞きました。花の種類を忘れてしまいましたがハウスが何かのトラブルで中にあった5000株を枯らしてしまったそうです。大変な損害です。
「親株がなくなって本当にもったいない。残念ですね。」という私に松永さんは、 「実は一株生き残ったものがあって、それに耐候性があるんです。とても丈夫です。」と言ったのです。
松永さんによれば、植物には自ら生き残っていく力があるので過保護はいけない。子育ての話のようですが、成長変化して手を上げたところを見つけてやる。そのうち「見て!見て!」と植物の方からうるさいくらい言ってきますよ、とのこと。 このお話はとうてい私に真似のできるものではないのですが、もっと楽しく気楽に栽培をすればいいのだという感覚を教えてくれました。
松永さんは「肥後ポリアン」や「プリムローズ」という八重咲のジュリアンを作 出したり、木立性サイネリアという切り花にも使えるタイプのサイネリアなど斬 新なアイデアの持ち主であり、育種の先駆者でもあります。 シクラメンやアジサイさらにはイチゴや朝鮮人参までおよそ気になるものは何で も交配してしまい、ある程度の形にしてしまう、そしてお金には無頓着なおじい さん、その風貌からもまさに仙人のような人です。 仙人である松永さんは、難しくて誰も手をださないようなものを育種した結果、 「面白いものが出来てきましたね!」と言っていつもとても満足そうにお話をさ れます。花を見に来る人はウェルカムで誰にでも丁寧に対応され、つい人にあげ てしまったりするのでお金には無縁の方です。花を商品・生産物と見るのではな く、花を本当に愛して普及させたい気持ちが強いのだと思います。 「最初にアイデアを考えて形にした」ということにも「アイデア権」みたいなも のがあると報われるんですが、なかなか世の中の仕組みは難しいです。 今から30年前に宮崎で土地探しに行き詰った時に今の綾園芸の土地をお世話して いただいた経緯があります。松永さんのおかげで私も宮崎県の綾という場所で園 芸をすることができました。まさに私にとっては大恩人です。

2019/8/20 更新

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