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種苗法と育種について − その1

唐突ですが学生時代に種苗法に少しかかわった時のお話をさせていただきます。
「お前は馬鹿か!Yが死ね!と言ったらお前は死ぬのか!」 この衝撃的なお叱りを受けたのは1977年私が大学4年の初夏のことでした。 私の卒論は「バラの花色」でした。バラの花の色が春と秋とでは変わるのか?
土で栽培した場合と水耕栽培とではどうだろうか?ということを調べるものでした。
当初私は他のテーマで卒論をやる予定で「カルミヤ」という花木の苗を購入し栽培していました。(画像左)
ところがある日担当のY先生から「カルミヤはいいからバラをやってくれ!」と言われました。
「え!そんなこと言ってももうカルミヤは農場のW先生のご指導でしっかり植え付けて育っているのに、どうするんですか!?」  と戸惑いましたが、Y先生が「とにかくそうしてくれ」と言われるので従うしかありませんでした。ということでカルミヤは中止することになりました。 W先生にその旨報告すると先生はすごい剣幕で烈火のごとくお怒りになり、文頭のような強烈な言葉で怒鳴られたのです。
今から思えば自分が何をしたいのか?何をしようとしているのか?そういう考えをしっかり持っていないことへのお叱りだったのでしょう。 確かに受け身の姿勢でそれとは反対に先生は何をしたいのだろう?それに対応するには自分はどうすればよいだろう?そういう姿勢でいたことは確かです。 (しかしそういう姿勢が必ずしもいけないこととは言えませんが。)ともかくそういう経緯で結局はバラの研究をやることで決着しました。 実はこの時のバラの卒論研究は品種登録法の基礎的な資料になるデータを作るためだったようです。 翌年には法律の施行を控えておりそのため何が何でも研究データを出す必要がありY先生としても必死だったのだと後でそのことに思い至りました。 今から思うとその時学生だった私は品種登録法というものがどういうものか?この先自分とどのようにかかわってくるのか?あまり考えてもいませんでした。
余談ですが実験したバラの花色はどうだったのか?結論から言いますと明確な差は認められませんでした。 季節間の変動ですが一般的に「秋のバラは鮮やかだ!」と言われていますが実は色素の量では初夏のバラの方が多いという結果でした。 鮮やかというのは人間の感性の問題で、鮮やかに見える理由は色素の量以外の要素が大きいのではないかと思われます。 たとえば花弁の表面の質感の違いとか・・・、また土による栽培と溶液栽培でもその差は明確には出ませんでした。 これはその時点の調査ではバラの花色は時期や栽培方法によってはっきりとした差は認められないので品種登録の基準として花色は重要な基準に成り得るということだったと思っています。 (具体的にかかわっていませんでしたので想像です)
卒業して花き栽培を始めて何年か過ぎ種苗法がなんとなくわかってきました。その時の私の認識は父が育種をしていたので育種とはどういうものかある程度理解していたこともあり 「育種をしている者にとっては有利なことだろう。」と思っていました。 具体的に言えば育種には時間と経費が掛かります。
例えば一つの品種を作るのに10年の歳月と毎年100万円の経費を費やして育種した品種を世に出したとします。 種苗法ができる以前は世に出してしまえばそれを入手した人がそれを増殖して市場に出しても何の問題もないし何の文句も言えませんでした。
私がまだ高校生の頃に父(草野総一)が世界で最初に鉢物のガーベラを育種して世に出しました。
(左 当時の写真)

もちろん品種保護の法律がまだない時の話です。父はS種苗という種苗会社の社員でしたのでS種苗さんが海外に販売したところ爆発的な人気で2年間物凄い注文が来たそうです。
しかし3年目には全く注文が来なくなりました。
原因は販売先の種苗屋が購入した種苗をもとに種を取り自分で生産したから必要なくなったのです。しかし先方を責める理由はありません。当時はどこかが素晴らしい品種を世に出せば他の種苗会社はすぐに購入して試作し同じような品種を作り出し販売することは誰もが行っていたことですから。 また父のガーベラも海外の素晴らしい切り花用ガーベラを元に育種したのですから。

ただ世界で最初に鉢物用のガーベラをイメージして、そういうものがあったらきっと売れるだろうなと思い育種したということです。 当時の日本においていわゆる「園芸家」は素晴らしい新品種及び作出者に対してある種の尊敬の念を持っており、また自分に対してはプライドを持っていたと思います。 だからその品種をさらに発展させる育種の材料には使わせてもらっても、その品種のコピーのような商品を出すことにはにはためらいのようなものを持っていたように思います。 今から思えば昔話の世界と感じるかもしれませんがこれも日本人の古き良き文化としか言いようがありません。しかし今日このような価値観でいるとすぐに身ぐるみはがされてしまいますので気を付けてください!
当時の父の考えは「世の中 弱肉強食の世界だ!こちらが良いものを出せばすぐに取りに来る。しかしこちらに追い付くには数年かかる、その間にこちらはさらに先を行く。 そうやって常に不断の努力と継続によって先、先を進んで行けば良いんだ!」と言っていました。すごいなー!と思うばかりで自分にはできる自信はありませんでした。 また父や宮崎の松永さんは「育種は終わりがない、品種の権利に頼るようになると進歩が止まる」というようなことを言っていました。確かにそれはある意味当たっています。しかしビジネスと考えると折角できた良い品種ですからしっかり投資は回収して次の品種開発に回していかないと継続性がなくなります。何事もバランスが大切ですが、先人たちのバイタリティとプライドには今でも尊敬の念を禁じえません。 とにもかくにも当時の状況はそのようなものでしたが、種苗法によって育成者の権利が守られるようになれば、それを利用する人からいわゆる特許料をもらうことが出来ます。そうすれば「育種に費やした経費を回収できる」し、上手くいけば「利益を出すことも出来る」可能性が出てきたわけです。
ですから自分がオリジナル品種を作出したときは必死になって品種登録しようと試みたものした。
現実はそんなに甘いものではありませんでしたが・・・
さて今話題になっている種苗法改正のことです。そもそも日本の種苗法は、第2次世界大戦のすぐ後の1947年に食料の安定供給を確保するため農家に確かな品質の種苗を提供することを目的にできた農産種苗法がもとになっています。 優良苗種の品種改良を奨励することも狙にあったようで種苗の名称の登録を受けることはできたようです。しかし今から見れば品種保護の機能はあまり無かったようです。
その後農業を取り巻く状況が大きく変わってきた1978年に「日本国内の植物の新品種の保護」と「植物の新品種の保護に関する国際条約」に加盟することを主目的に改正され種苗法となり、 その後さらなる改正をされました。それにより新しく開発された品種はかなり保護されるようになりました。また農家による自家増殖は当初は広く認められていましたが、品種開発者の国内外の競争力を高める意味からも認められる作物が段々と少なくなってきています。 1978年以前より世界では農作物でも品種改良の競争は始まっていました。 そして欧米では広い意味での「特許」の概念が進み工業機械的なもの以外でもあらゆるものにその概念は取り入れられ植物や動物やあらゆるものに特許がかけられるようになってきました。 アメリカでは1930年には無性繁殖植物(塊茎繁殖植物を除く)に対し財産権を認める制度が出来ていました。 日本では工業分野などではいわゆる発明に対しての特許は一般的に受け入れられてきていましたが、農業分野ではその概念はあまり無かったように思います。 日本人にとって自然は皆のもの、森も川も皆のもの、農作物は皆のもの、誰が育種したのかは一応知識としては知っていてもそれを利用するのに代償が必要とは思っていませんでした。 ですから当たり前のようににみんなで利用させてもらっていました。
余談ですが若い時に沖縄旅行に行ったとき「プライベートビーチ」というものを初めて見て「海を私有化してる?」全く信じられない、理解できない、と強い衝撃を受けました。欧米ではビーチを私物化することがすでに当然で普通の価値観だったんですね。 さて植物にも財産権を認めるとなると「自然、植物や動物は皆のもの、みんなで使えた農産物の資源」を今日からは「権利者にお金を払わないと使ってはいけない」という価値観の転換をしなければならなくなります。 そういわれても今までの常識を急に変えることは難しいのが実情でした。 自分の周りを見ても、植物にも特許のような法律を作り、適用することに農業にかかわるほとんどの人は何故そうしなければならないのか? どうしてその価値観の方が良いのか?なぜその価値観に合わせないといけないのか?  納得いかないな!分からないな? という感じではなかたのではないでしょうか。 ただおぼろげながら分かるのはこれからは「品種開発をして品種の権利を持ったものが有利に経済活動が出来るだろうな」ということでした。 花の世界にいるものは花の種苗を、野菜農家は野菜の種苗を、果樹農家は果樹の種苗をそれぞれ思い浮かべたことでしょう。しかしお米農家は「お米の種苗」と言われても???です。 農協とお上が宜しくやってくれるだろう!と思ったかどうかは分かりませんが、多くの米農家はあまりピンとこなかったのではないでしょうか。現在でもお米を作るのに特許料を払わなければならない世の中になることが想像できない方も結構いるのではないでしょうか?!
ともかく気持ちはどうであれグローバル化していく世界でその波に乗り遅れないために納得は出来ないものの、受け入れなくてはならないというのが現実でした。 この価値観を農業現場で受け入れるのには実に20年くらいの時間を必要としました。 その間には種苗会社と農家の間でたくさんのトラブルが発生するのを目の当たりにしたものです。

ー次回に続く

2020/7/25更新

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